Cantus Animae 演奏会

日曜日で続けてですが、夜はCantus Animae の第7回演奏会に行ってきました。アマチュアながらこちらも実力のある団体。人数的にはスリムになってて、少人数アンサンブル、といった趣です。一人一人の実力高いんだろうなぁ…


1ステ2ステはマドリガルやバッハ。ところどころ???な箇所もありましたけど、全体的なバランスも心地よい感じ。男声は、続く日本語の曲よりもこちらの方がお得意なのか、練習量が多いのか、声量も表現も豊かに聞こえました。


3から5ステは、堀内貴晃さんの作品。2年前からどんな作品が出てくるのか気になっていた作曲家なので、非常に楽しみにしていました。そのうち信長さんのようになるのか、表舞台には出なくなるのか、この世界も競争が過酷なようですが、じわりじわりと人気が出て行きそうな予感がする、そんな作品でした。今後も注目です。

大阪ハインリッヒ・シュッツ 東京定期公演

大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団第11回東京定期公演に行ってきました。去年京都であった邦人合唱曲シリーズにも行って非常によかったので、東京に来るのを楽しみにしてました (今年の秋は、旅行中のため行けず)。某大学の合唱団の練習場所にも、この団体の事務の方がチケットを売りに来られたとかで、知り合いの後輩も来ていました。


当日の学生券を買ったのですが、なんと席が1階1列19番という、指揮者の当間さんの真正面!ちょっとこれにはたまげました。ちょっと手を伸ばせば触れる距離 (もちろん触りませんでしたが)。音的にはもっとホールの中心に近い方がよかったのでしょうが、逆に演奏者の息遣いや表情がよく見えてよかったかも。しかも、普通の団体なら、一番前だと息もれや演奏の粗が聞こえてきたりするんでしょうけど、そういうのも感じさせないところは、さすがプロの技、といった感じです。


プログラムの中で1つ挙げるとすると、千原英喜/弦楽のためのシンフォニア第2番が一番心に染みました。2曲目の「Dies irae」のチェロのソロは、熱情感こもる名演でしたし、最後の曲「Lux aeterna」でも、心安らかになる美しいメロディと崇高さに、本当に来てよかった、という感情でいっぱいになりました。歌詩はついていないけれど、Requiem のあの文言が浮かんでくるようでした。


パンフレットには、今年亡くなったメンバーの方がおられ、その方にこの曲を捧げる、という趣旨のことが書いてありました。そのこともあってか、この最後のステージの音には魂の思いがいっぱい詰まっているような、強く訴えるものがあったように思います。単なる技巧だけでない音楽、と言うのでしょうか。また次も楽しみにしたいと思います。


Cats を観る

劇団四季のCatsを観ました。場所は五反田と大崎の中間辺りにできた専用の劇場。四季のミュージカル観るのは、マンマミーア以来だから、かれこれ2年になります。今年の3月にはブロードウェイに行ったから、ミュージカル自体は8ヶ月ぶり、ということになるかな。


今回何が違うかというと、劇場の収容人数でしょう。なんと2階席もある。いつもならおわん型の小さめの劇場だったのが、人の入りが多いんでしょう、キャパも大きくしたわけです。開幕してまだ1ヶ月経ってないから、当然ほとんど満席。ライトの使い方も何か前よりも多くきらびやかに使ってるような気もします。振付とかは昔の覚えてないからわかんないけど、タップダンスが結構渋かったです、その辺は振付の加藤敬二さん、抜かりがない。ただ、収容人数を大きくした分死角もできたらしく、私は前から10列目の端の方の席だったんですが、その死角ゾーンになったらしく、直前にはがきがきて、料金差額を払い戻します、ということに。3千円くらい戻ってきて、ちょっとウレしい気分。別に支障が出るほどでもなく、ちょっと音の向きがスピーカーから逸れてるかな、と思う程度で、観るのには全然問題はなかったです。


配役では、ラム・タム・タガーに芝さんが入ってて、グリザベラが早水小夜子さんという、結構実力派。芝さんなんかはまだ力余ってる感じ。オールドデュトロノミーの石井さんは、声が高い分ちょっと貫禄なかったかな。個人的には、メモリーをいっしょに掛け合う若めの猫役(名前わからず)が結構歌がうまくて気に入りました。ちょっと野村玲子風の歌い方です。


2幕が終わって、カーテンコールの音楽の最中でも拍手は鳴り止まず、何度も舞台に出て来てくれていました。しかも、カーテンコールが終わっても拍手は止まらない!芝さんが出てきて一芸で盛り上げてくれて、ビシッと締めてくれました。最後に客席に猫たちが握手しに来てくれるんですが、隣の列が芝さんだったので、乗り出してきてるおばさんもいて、ちょっと壮絶。でもうらやましい。


日本でももう20年以上やっているのに今もってこの作品が受け入れられているのは、Andrew Lloyd Webber の技量によるところは大きいと思います。メロディーメーカーというか、クラシックの基本がしっかりしたところにロックなどの流行のものも取り入れる巧みさというか、Cats も本当によくできた作品だと思います。最近はナンバーもちょっと変わったみたいだし。


でも今回感じたのは、他の Webber 作品の要素が結構入っているということ。オールドデュトロノミーを誘拐するマキャヴィティなんか、怪人そのまんまだし、列車猫のところなんか、Starlight Express っぽい。まあ、そんなところも遊び心があっていいのかも。これが英語版だと、歌詞もきちんと韻を踏んでて、わからないなりにも聞いてて楽しいもんです。


Andrew Lloyd Webber は敬虔なキリスト教徒だそうで、それらしい要素が至る所に見られます。オールドデュトロノミーなんて、名前からしてモーセ五書の最後の名前だし、雰囲気的には完全にモーセ。グリザベラが娼婦猫で最後には天上に上る、というのも、マグダラのマリアを彷彿とさせます。猫が集まって歌うシーンでも、賛美歌の和声進行が使われているし、ヨーロッパテイストは詰まっています。もちろん、このことを知らなくても十分楽しめるわけですが。


まあそんなわけで、機会があればぜひどうぞ。

「語る」という言葉

最近は、真剣な話をしたり真面目な議論をしたりするときに「語る」と言うようになってるみたいですが、これって割と最近の特徴のような気がします。もちろん、「誰それ、○○について語る」とかいうTV番組はあったし、今のような意味での「語る」がなかった訳ではないのに、日常会話でこの言葉を敢えて使うようになったのは最近のことだと思うのです。昔だと、「夜通し」語り「合う」とか、「真面目な」話をする、などのように、語るとか話すにちょっとだけ修飾すれば大体そんなニュアンスがあったのですが、最近は「語る」一語でその意味を持つようになった、ある意味獲得したのかもしれません。


でもその裏には、いわゆる「語る」機会というものが、日常的に少なくなってきたので、特別なことのように際立たせるため、「語る」という語に新しい意味が付いたように思うのです。「語ってるねぇ」というと、日頃の他愛のない話とは違う、真剣な話をしている、という含みがあります。


自分が高校生のときなんかは、別に真面目な話ばかりしてたわけではないけれど、バカ話だったり、真剣な話だったり、特に区別はなく、「話し」にはどちらの意味も含まれてて、「語る」ことが特別、という意識はなかったです。でも最近は、他愛のない日常話がほとんどで、真面目な話は特別、という受け止められ方をするので、なんか区別されてしまっているようです。


何となく思うに、他愛のない話でお互いの会話が成り立っているほど今の人間関係はそれほど濃くなく、「語れる」相手というのもそれほど多くない、今の風潮を反映しているような気がします。これって東京近辺だけなのかなぁ?少なくとも私が育った福岡や、ベンガル地方とは違って人間関係は希薄な気がします<東京。それとも、私の周りだけ?

共立女子大学合唱団定期演奏会

行ってきました、第47回共立女子大学合唱団定期演奏会。場所はティアラこうとう。ここは毎年、選曲が凝っているというか、平々凡々なものばかりはやらないし、実力もある方なので、聴いてて飽きない団だと思います。知り合いも最後の晴れ舞台だし、ということで聴きに行きました。ちなみに、オフィシャルサイトはこちらで、OGの方によるブログはこちらです。

◆「C. サンドバーグの詩による6つの女声合唱曲」 - コチャール作曲
「コチャールなんかようやるなぁ」と思ったんですが、それなりのレヴェルには達していたと思います。歌うと難しいんだろうなぁ、けどよく鳴ってました。ここはいつもAltoがしっかりしてて安定してるかな、と思うんですが、今年もバンバン低音部が聞こえてきました。惜しむらくは英語の歌詞の発音。母音も子音も日本語と同じに歌ってるので、少し違和感を覚えます。研究要。「Happy」が「はっぴ」に聞こえるし。

◆木下牧子セレクション
学生指揮者ステージ。今や大人気の木下さん。でも20年近く前からだから息が長いですよね。1曲目の「うたをうたうとき」は、ちょっとテンポ感がのりきれなくて、123456の拍子が見えていたのがちょっと難。流れつくりが必要な曲ですね。2曲目の「グリンピースのうた」のときに、指揮者がなにやら取り出したので、「音叉かな?」と思ったらスプーンでした。ニクい演出するねぇ。個人的には3曲目の「海と涙と私と」が一番よかった。最後の「夢見たものは」もよかったです。ここの曲では、Altoが和音の肝のいいとこをきちんと決めてくれてたので全体が引き締まって、同じ(?)低音屋としてはうれしい限り。

◆「七つの雪の詩に寄せる」 - 菊地 雅春作曲
雪にいろんな詩人の詩に曲をつけたもの。器楽的な試みもあって面白い。作曲家の方は雪国育ちらしく、いろんな表情の雪を表現してるみたい。ステージ構成的には、重みをつける部分だったと思うんですが、もっと歌いこんで差をつけるといいな、とは思います。でもこれだけの曲目こなすだけでも大変ですからね。5曲ぐらいが適当な長さかな。

◆「少年時代」 - 大熊崇子 作曲
2ステと並んで、歌心が飛んできた、というか音楽を聞いてて楽しめるステージ。曲のよさと演奏のよさがよくマッチしていたと思います。多分歌ってるほうも気持ちよくて好きな曲なのでは、と思いました。今まではおかあさんコーラスで歌われたことはあるものの、若い人は初めて、だそうですが、かえって若い人向きなのでは? というか、音が今ふうの響きがある感じ。これから歌われるようになるのかな・・・。

個人的には、最後4年から3年にバトンタッチする場面がジーンときました。いろいろ思うところがあるだけに。今年の某グリはどうするんだろう (独り言)。あと、パンフレットの「最大の獲物は、どこかの森で狩ってきたクマさん」は超ウケました。狩ってきたのかよっ!

◆余談:エール考
個人的に、ここの団体のエールも結構好きな部類に入ります。作曲中田喜直というのもあるし、歌ってて簡単そう、というのもありますが、メロディが自然に流れる、というのが聞いてて心地よい原因なのではないでせうか。私的に要チェックと思う団体のエールを2つ。

安積黎明高校
女子高から共学になるときに校歌も新しく作り直したらしいですが、作詞大岡信、作曲鈴木輝昭、という、なんかすごいコンビ。学校があるから校歌ができた、というより、高校合唱団があるからこの曲を作った、というくらい、ほとんど合唱曲です。学校で普通に歌うとどんなのか聞いてみたい。

九州大学コールアカデミー「筑紫之咏」
関東で聞く機会はあまりありませんが、ここのエールは必聴です。実際は裏エールということらしいですが。詩は万葉集、作曲は確か藤井凡大氏で、邦楽面でも著名な活動をなさった方。アレンジがこれこそ「和の雅!」といった趣で、防人の強さと風流さを表現したような曲です。んー、適切な表現がみあたらないけど、一聴の価値は十分にあり。


犯罪被害者の現状

木曜日の報道ステーションで、犯罪の被害に遭った方の特集をしていた。
同僚に、別の同僚との付き合いを妨害していると勘違いされ、灯油をかけられて大火傷。幸い命は取り留め、皮膚移植を何十回も重ねて退院できたものの、仕事はできないため生活保護を受けている。加害者は懲役6年の判決を受け、「一生かけて償う」と法廷で言ったものの、現在にいたるまで謝罪も、補償も一切ない。

今の法律と制度では、加害者には、国選弁護人がついたり刑務所での医療その他の優遇措置があるものの、被害者の救済は基本的に加害者の責任、ということになっているため、加害者にその能力がない場合は泣き寝入りするしかないという。この方は皮膚移植の費用460万円あまりを病院から請求され、「加害者のところに行ってくださいよ!」と伝えても、「あなたが刑務所に行ってもらってきてください」と言われたという。その後の治療のための費用も、すべて自己負担。

かなりショックだったのは、福祉事務所の対応。被害者は、加害者による報復を恐れて、移動は公共の乗り物ではなく常に車。居場所を知られないようにするため、だという。それなのに福祉事務所では、「車を維持管理することは、制度上認められない」という。「私の命は誰がまもってくれるんですか?」と反論しても、当然答は返ってこない。

「いつになったら、人間として扱ってくれるのでしょうか?」とその人は嘆いていた。自殺を考えたこともあったという。本当に辛いだろうと思う。被害者本人には、苦しまなければならない理由なんて、ひとつもないというのに・・・。

今、「犯罪被害者基本法案」が国会で審議されていて、成立するらしい。苦しんでいる現状が、少しでも改善されれば、と願わずにいられない。

タゴール『ギタンジャリ』 私が願うのは

私が願うのは
  危険から護られることではなく
  危険のさなかで恐れないことです
哀しみのどん底、心のはげしい痛みの中で
  慰めてもらうことではなく
  哀しみを克服し、勝利をうたうことなのです
あなたが来て私を救ってくださる
  これを私は願っていません
私が願うのはのりこえてゆく力です
  ただ私が重荷を担う、その力をお与え下さい
暗い悲しい夜
  失意以外、何もない夜にも
ああ 決してあなたを
  疑うことがありませんように

ラビンドラナート・タゴール『ギタンジャリ』より
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インドの著名な知識人、タゴールの詩です。アジアで初めてノーベル文学賞を受賞した作家であり、マハトマ・ガンジーに「マハトマ (偉大なる魂)」という尊称を送ったのも、タゴールらしい。その作者の有名な作品が「ギタンジャリ (歌のささげもの)」です。

高嶋みどりの合唱曲に「あなたが歌えと命じる時に」という曲があって、その関係でタゴールの詩集を探していたとき、詩集を Amazon で出品してくれた方にこの詩のことを聞き、ちょっと調べてみました。

もともと「ギタンジャリ」は原語のベンガル語で書かれましたが、作者自身の手により英訳され、157篇中53篇が、英訳版「ギタンジャリ」に収録されました。その他50篇は、別のベンガル語詩集から選んだものが英訳されたものが収録されました。ですから、原語版と英訳版では、内容は案外異なるのです。イギリス人など、白人が読むことを念頭にして編纂されたのが英語版といえるかもしれません。

ややこしいことに、原語版「ギタンジャリ」から英訳版には入れられなかった詩の中からのいくつかが、別の英訳詩集に収録され、冒頭の詩 (原語版ギタンジャリでは No.4) は、「Fruit-Gathering (果実あつめ、収穫祭)」に収録されています。ですから、収録されているのは、原語版「ギタンジャリ」か、英訳版「Fruit-Gathering」ということになります。

この詩は、山室静、渡辺照宏両氏によって訳され、それぞれ、『タゴール著作集. 第1巻』第三文明社、1981年と『タゴール詩集』岩波書店、1977年に日本語訳がありますが、どちらも文語体。さわりの部分はこんな感じです。
幸なきに 守りませとは
われ祈らず
幸なくば 怖ぢずあらなむ

口語体のものはどうやら、『愛をこめて生きる―"今"との出逢いをたいせつに』 PHP文庫、1999年や、その他の本にも入っているようですが、未確認なので、わかったらまたブログに書こうと思います。

早稲田祭2004

ちょっとの間だけ、早稲田祭2004に行ってきた。いつも思うが、何かイベントがあるとえらく熱くなるのが、ここの学生のスゴいとこだと思う。会場も熱気ムンムン。ついでに人もわんさか。新歓時期でも人が多いと思うけど、学園祭の時はお客さんもわんさかなので、日ごろ以上の人口密度になる。


バンド演奏や展示というお馴染みのものから、最近の時流からか、お笑いのコーナーや、ボランティア関係のブースも多かった。中でも、放置竹林の問題を啓発してるサークル?があって、竹で作ったコップでお茶を煎れてくれた。何でも、朝横浜から車で持ってきたらしい。昔浦和に住んでた時、裏山が竹林だったから、放置された竹林の怖さも実感してるだけに、興味津々だった。


全体的にエコ志向で、食べ物の器は全て分別回収してて、この辺も最近の環境問題意識の現われだろう。



いくつか展示を見て思ったけれど、なんか高校の文化祭の延長のようなプレゼンの仕方が多かったように思う。まあ大学生は高校の続きだから似てても不思議はないけれど、博物館学芸員の単位取ったりできるんだからさぁ、もうちょっと工夫してもええんでない?、と感じた。限られた予算の中でやりくりするのは大変だと思うけど、効果的なプレゼンするのに必要なのは、コストよりアイディアだからね、その辺は改善の余地あるかな。

アラビアンロック

同僚と、今新宿に出向してきている元同僚の3人で新宿で飲みました。場所はアラビアンロック 新宿スクエア店。単に、入り口の写真が目に留まった、というだけの理由です。さすがにハナ金だけあって、しばらく待ちました。

入る時には「開け、ゴマ!」と叫んでランプを触るとあーら不思議、ドアが開いて中に入るとそこはアラビアの世界。へそ出しルックのお姉さんがお出迎えしてくれます。そこでも仕掛けがありますが、そこは行ってからのお楽しみ。

中は完全個室で、隣が少々うるさくても仕切られている分助かります。テーブルも掘りごたつ風でなかなか快適。食事やお酒の種類は普通っぽいと思いますが (詳しくないもんで)、かつおのたたきだったかな、これは結構美味でした。

ちなみに、行った日の前後が誕生日だと、ジニーがやってきて祝ってくれるそうです。なんかその日はやたら多かったのか、しょっちゅう誕生日コールがかかってました。
「なんとお客人の中にこの日誕生日を迎えた方がおられるそうじゃ」
「まあ、お客様の喜びはわれらの喜び・・・」
とかなんとかいうアナウンスが入ります。

系列でいろんな種類のお店もあるみたい。ちょっと面白そう。

言わなくてもいいこと

言わなければならないことと、言わなくてもいいこと、というのがあると思う。「自衛隊を撤退させない」という言葉は、果たしてあの時小泉さんが言わなければならなかった言葉なんだろうか。本人はそう思っていらっしゃるようだが、撤退させないと思っていても、状況を考えて言及を避ける、という方法だってあったはずなのに。相手をいたずらに刺激しない、という配慮を怠っていながら、「最善を尽くした」なんて言えないと思う。
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